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きもの草子番外編 〔聴雨庵の魔女〕
その庵のまわりには、いつも雨がふっていました。

灼熱の陽光が照り付ける真夏日にも、氷雪吹きすさぶ真冬日にも、一歩庵の門をくぐった客人はしっとりとした優しい雨音に包まれるのでした。

庵の名を、「聴雨庵(ちょううあん)」といいます。

茶室から雨に濡れる庭を眺めるうち、客人は自分がとても疲れていることに気づきます。
日常のあれやこれやにへとへとに疲れ果てていて、でも今まで自分が疲れていることにも気づかないくらい、いろいろなものに追われ、せわしなく過ごしていたことに気づきます。
雨音はただ静かにカサカサに乾いた心に浸み込んでいきます。


聴雨庵に亭主はいません。
でも、雨音に耳を傾ける客人の前には、いつの間にか白磁の椀に満たされた一服の茶が供されています。

薄手の椀を通じて掌に伝わる茶の湯の温かさと、雨に濡れる庭先の苔の色と同じ、鮮やかな翠緑と、湯気とともに立ち上る抹茶の爽やかな香気。

飲みほすと、じんわりとそれらが体中を巡り、すっかり元気になった客人は庵に礼をして帰っていきます。

聴雨庵には亭主はいませんが、魔女が一人、棲んでいます。

水屋に隣接する半畳にも満たない、狭い板敷きの道具置場で、誰にも気づかれることなくいつもお茶をたてています。

ときどき、「カテキンは免疫がつくのよ」「ビタミンCもとれるんだから」とぶつぶつつぶやきながら、ずっとずっと何百年もの間お茶をたてています。

そうして今日も、雨音にまじる来客の足音を聞き漏らさぬよう、魔女は耳を澄ますのです。

author:mayudama, category:●『きもの草子』, 00:02
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きもの草子九枚め〔自分勝手な願いだけれどもー〕
つねづね思っていたことがある。
カラオケで上司があの有名な懐メロを気持ちよさそうに歌うとき、今日び、
2年前のベージュのコートを着続ける女なんかおるかいな、と。
そのときまではー


「じゃあ、あとはお若い者同士で、ね」
というお決まりのセリフに、
(おおおお〜本当にそれ言うんだ、おばちゃん!)
とオレは心の中で感嘆の叫び声を上げた。

満面の笑みを残していそいそと去っていくまんまるい後ろ姿に、むしろその
セリフを言いたいがためにこの場を設けたんじゃ・・・という疑惑までわき
上がる。

西新宿のホテルのティールーム。どうにも断れない状況に追い込まれた末の
見合いの席だった。
まぁ、鹿威しカコーン!の料亭の一室でなかっただけマシというべきか。
一方的にマシンガントークを展開していたおばちゃんがいなくなって、唐突に落ちる沈黙に、相手も気まずそうに紅茶のカップを口に運んでいる。

クリーム色のツーピースにヒラヒラした素材のボウタイブラウス。
まぁホテルでの見合いならこんなもんでしょ、と「無難」と判で押したような服。
そりゃこちらも会社に行くよりは少しいい、いつもは友人の結婚式の二次会に着ていく用のスーツなのだからお互い様か。

テーブルを挟んだ二人は、たまたま無人島に知らない者同士で取り残されて途方に暮れているような、それでもマシンガンの弾切れで騒がしいハンターがいなくなってちょっとほっとしたような、そんな空気が流れた時だった。ガラス一枚隔てたロビーの吹き抜けの空間を見覚えのある姿が横ぎったのはー

(あ・・・)
たしかに、今どき2年前と同じコートを着続ける女は少ないだろうが(いたとしてもベージュのコートでは気づかない可能性が高いだろうが)、きものの羽織ならば同じものを着ているのか、と思った。
2年どころか昭和初期のアンティークだ。「銘仙」と言ったか。煙草のけむりがつくと生地が傷むからと禁煙させられた。おかげで煙草はやめることができて、今テーブルの上にはコーヒーカップしか載っていない。

鮮やかな色合いの長羽織に、見覚えのない細い縞のきもの姿の彼女は、いかにも「今、見合い中です」的様式美でかためたこちらには気づくことなく通りすぎる。相変わらず姿勢がいい。

「きもの、お好きなんですか?」
不意に向かいの席の相手にたずねられて、
「えっ!?えええぇ」
うわずった返事をしてしまった。
「きものの女性って、つい見てしまいますね」
まさか「元カノです」とは言えない。
「アンティークのきものでしたね、あの方。もう羽織の季節なんだ・・・」
最後の方は自分へのつぶやきのようだった。
「着られるんですか」
「はい。お遊びで着ているだけですけど」
とはにかんだ表情はなかなかかわいい。
「今日は洋服なんですね」
「あっ、あの、きものって言っても私の持っているものはそんなに高級なものじゃなくて・・・ふだん着るようなものなんです」
あわてたように言った。
「それに、こういう場にいきなりきもので現れたら、ひく人もいるでしょう?」
「ああ、そういうこともあるかもしれませんね・・・」

今、視界から消えた女はまったくそんなことは気にしなかったな、と思いながらうなずいた。
自分が着たいものを着て何が悪い、とボウリングだろうがバーベキューだろうがきものでいた。
その、きものに限らず周囲に流されない、自分を貫くところが好きになったところであり、だめになったところだった。

今でも彼女はいろんなことに傷つきながらも、自分のスタンスを貫き通しているのだろう。
願わくば、それをまるごと包み込んでくれる人が近くにいますように。

我ながら勝手な願いを3秒くらいしてから、
「今度はきもの姿も見せてください。ひかないので」
はじめてしっかりと相手の目を見て言った。

author:mayudama, category:●『きもの草子』, 20:16
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きもの草子八枚め〔朱にまじわれば・・・〕
はい、フラれました。
「つかれた」ってフラれました。

もうつかれたよ…って、お前はネロ少年かっ、パトラッシュと一緒に天に召されてしまえっっ!なんて悪しざまに心の中で罵るのもいい加減むなしくなってきた頃、見計らったかのように女友達から連絡があった。

学生時代からのくされ縁は、友人の失恋を「お、ちょうどよかった」と一言で片付け、「どうせ暇を持て余してるんでしょ」と次の休みに自宅に来るよう呼び出した。

「…ふつーさぁ、逆じゃない?傷心の友人がいたら駆けつけてくるもんじゃない?」
釈然としないまま、それでも律儀に友人宅を訪れて言ったら、
「だってもう別れた男の文句を言えるくらいまでは立ち直ってるじゃない」
さらっと言われた。
「あんたが本当に落ち込んでる時は、絶対に誰にも何も言わないで一人で悶々としてるもん」
「…」
その通り。下手に付き合いが長いとそんなところまで見透かされるからタチが悪い。

もうおしまいかな、と思ったのはたぶんこちらが先だった。言わせるように仕向けたくせに、被害者ヅラで騒いでいたのは心の底にあった変な罪悪感、のようなもの、を減らすためだったりするのかもしれない…なんて自分でもよくわからない気持ちまで見透かされているとは思わないが…

「それで、なんの騒ぎなのこれは…」
数カ月ぶりに訪れた彼女の部屋は、床が見えないほどの色彩の布の氾濫。
「なにって、きもの。急に着てみたくなってさ」
「あのクローゼットいっぱいあったブランド服は?どうしたの?」
「あれを売って、これになった」
「ええーっ」
「まぁ、お聞き。きものは古着ならびっくりするくらい安いのよ。そして洋服だといちいちついてまわっていたお直しも、古着きものだったらジャストサイズ!まさに私たち、ちびっこの為の勝負服!」
…いい年して自分のことをちびっことか言わないでほしい、恥ずかしいから。
「それに今、きものを着られるようになると、これからの紅葉狩り、クリスマス、忘年会、新年会のイベント全部きもので楽しめるのよ!世間様に怒られないコスプレだよ!やらなきゃ損だと思わない?」
「はぁ…」
…なんか怪しげなセミナーに勧誘されてる人みたいになってないですか、私…
「要するに、きものを着て出かけたいから付き合え、と?」
「少しやせたその体に…ってあんまりやせてないけど、似合うきものをさがして街に飛び出せばみんな振り返るよ!」
「余計なお世話だ!」

悪いもんでも食べたんじゃないかってくらいハイテンションの友人と、床に散らばった色とりどりのきものの柄を見ているうちに、なんだか着てみてもいいような気持ちになってきた。
どうせ嫌だって言ったって、着ることになるのだ。だったら楽しんだもん勝ちだろう。
「わかった。で、最初に何を着ればいいの?」
「おっ、やる気になったわね。ではまず、この長襦袢を着るがよい」
「ハイハイ」
彼女の行動が友人を元気づけるため、ではまったくなく、ただただ自分本位なところがいっそすがすがしいよなぁ、と思いながら、燃える紅葉のような、鮮やかな緋色の襦袢に袖を通したのだった。

author:mayudama, category:●『きもの草子』, 22:12
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きもの草子七枚め[ワリマシでおねがい]
「・・・でしょーイマドキありえないでしょ、その組み合わせ。私服見て一気にさめたわ」
「スーツ姿は誰でも2割増でよく見えるもんよー」
「家でもずっとスーツ着ててもらえばいいじゃん」
ギャハハハありえねー、という馬鹿笑いに、社内で大声で騒いでいるお前たちの方がありえねーと心の中で毒づく。(口に出して言うにはまだ命が惜しい)
一息つくのに休憩室に来たのだが、自販機の前にたむろすギャルどもに近づくのに躊躇していたら、「私、買ってきましょうか?」通りかかった同じチームの部下に声をかけられた。

「はい、こっちがブラックです」
「サンキュー」
ギャルに近づけないところを目撃されて気まずいわ、おごる羽目になるわでついぼやきたくなった。
「スーツ着てりゃ、2割増だって。深夜タクシーかっつうの」
「なんですか、そのたとえ」冷静に切り返される。
「で、どうするんですか、土曜日の納涼イベント。私服ですよ」
痛いところをついてくる。あんな話を聞いた手前、おかしな格好はできないではないか。
「あーポロシャツで・・・」
「接待ゴルフじゃないんですから」
「めんどくせーな。いっそ土曜もスーツでいりゃいいだろ。わざわざ2割減することもないだろうし」
開き直ったら、あきれた目で見られた。盛大なため息をつかれる。
「わかりました。買いにいきましょう」
「え?」
「うちのチームリーダーが全社員の集まるイベントで変な格好でいて、他部署に馬鹿にされるのは困ります」
「え?」
なぜか、そんなことになった。

「なぁ、これ、前はだけるんだが」
「こういうものなんです」
終業後、強引に先導されたデパートで言われるがままに試着させられたのは、「イマドキの」洋服ではなく、きものだった。

しじら、という織りの紺色のきものは、一枚で浴衣としても着られるそうだが、
「浴衣と甚平は他のチームの人も着るって聞いたので、ここはきものにしてランクを上げましょう」
なぜか他部署に対抗意識を燃やしている彼女は、てきぱきときものにあわせて衿のついた襦袢と、足袋、墨色の角帯を選び、きものと一緒に押し付けて試着室に追い立てられた。説明に従ってなんとか着てみたものの、ワイシャツとネクタイに慣れた身には、どうも前がスカスカして落ち着かない。
出てくるなり、「帯の位置、高すぎ」ぐいっと帯を下げられた。
「帯はベルト位置じゃなくて、急所のギリギリ上で結んでください」
「おまえ・・・セクハラで訴えるぞ」
「どーぞー」
顔色ひとつ変えず、後ろにまわって適当に結んだ帯を結びなおされる。
「なんで着付けできるんだ?」
「きもの、好きなので・・・スーツ着てりゃ2割増なんて妄想ですよ、日本人なのに。特に主任みたいに中肉中背でアゴが張ってて外股の、典型的な江戸っ子体型はきものの方が似合うに決まってます」
「・・・それとなくここぞとばかりにオレの悪口言ってないか」
「誉めてるんですよーほら、よく似合う」
結局うまくおだてられて、それがはじめて買ったきものになった。



「なんか・・・はめられた気がするな・・・」
2年後、夏も近い土曜の夕方、狭いマンションのベランダに無理矢理折りたたみ椅子を持ち出して、缶ビールを手に一人ごちる。今年誂えたばかりの浴衣の袖口から、心地よい風が通り抜けた。
「何か言った?」
妻が網戸を開けて、枝豆の入った小鉢を手渡してくれる。

2年の間に休日の私服はほとんどきものになり、部下だった女性は家族になった。
「きものだよ。まんまとおまえの策略にはまった気がする」
「あら、だって・・・」
うふふふ、と笑って妻は言った。
「きものを着た男の人って、3割増でかっこよく見えるんだもの」
author:mayudama, category:●『きもの草子』, 00:00
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きもの草子六枚め[獅子と蛇]
『仕事が終わらなくて、今日は行けそうにない。ごめん』
画面に浮かぶ文字を一瞥し、ぱたっと携帯を閉じる。半ば予想していた内容に返信する気にもならない。

目線を上げた大鳥居の先には整然と並ぶ無数の提灯。
浴衣姿の人々が、その灯に吸い寄せられるように途切れることなく続いていく。

遠い。祭に浮かれる人々の声も、屋台の呼び声も、すべてが遠い。

喧騒から遠ざかるように神社の森を歩いていたら、唐突に青いビニールで囲っただけの見世物小屋に出くわした。参道から離れた場所だというのにそこそこ客は入っているらしい。ビニール越しに漏れる灯かりと熱気。緋襦袢姿の女が、首に巻いた蛇に噛み付いているけばけばしい看板に眉をひそめて迂回すると、そこに占い師がいた。
小さな卓を前に、小屋の灯を背にしているせいで姿形が影になって判然としない。

思わず凝視して立ち止まると、
「厄介な蛇を、飼っているね」
うっそりと言われた。
蛇なんて飼ってはいない。気味が悪くて立ち去りたいのに、なぜか動くことができなかった。
「女はみな、腹の中に蛇を飼っているんだよ。体の外で飼っている男の蛇は暴れたところでたかがしれているが、女は目に見えぬ分、扱いが難しい。浅瀬で泳ぐ小さくてかわいい蛇もいれば、いつも顔を出して相手に噛み付こうとしているのもいる。稀に腹の底で眠ったままのもいる・・・そりゃあ千差万別さ」

「あんたの蛇は・・・人よりも深い、深い場所で息を潜めて、ちょっとやそっとでは姿を見せぬだろう。だが、一度外に現れた日には、己も周りもことごとく喰らい尽くさねばおさまらぬ、破滅の気性の蛇よ」

気をつけることだ、と忠告する声によく似た声を以前から知っている気がした。

それは、自分の腹の中から時折囁かれるものとよく似てはいなかったか。
「あの女さえいなければ、おまえが一番になれるよ…」と。


「おまたせ」
バーカウンターのスツールに座る男の隣に立つ。
「この前は悪かったね」
と言いながら男はこちらを見遣り、
「唐獅子の帯か。相変わらず威勢がいいな。君みたいな強い女によく似合う」
と言った。

その言葉にうすく笑みを返すことだけで応じ、隣に座る。
「獅子を巻いて、お腹の蛇を抑えているの」と言ったら、男はどんな顔をするだろう。
ほんとうに強い女は、獅子の帯など必要としない。



「ねぇ」
かわりに言ったのは、
「獅子と蛇って、どちらが強いと思う?」

問うまでもなく、やがておのずと結果は知れるだろう。
この腹を喰い破って、蛇が姿を見せたときには。
ー来るならば、来ればいいいー

闇の底で、何かが蠢くのを感じた。
author:mayudama, category:●『きもの草子』, 02:53
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きもの草子五枚め[タコマリネ]
「めんどくさい…」
夫が風呂に入っているのをいいことに、声に出して言ってみた。

ダイニングテーブルの上には、大量の料理本がジェンガのように積み上げられている。

どうして男は休みの日まで会社の同僚と会うのか…いや、会うだけならいい。
(なんでウチにまで連れてくるのよ…)
こっちだって働いているのに、土曜の昼までに掃除をして料理をつくる身にもなってほしい。
(しかも6人って…)

本当は、家にお客が来て、料理を作ってもてなすのは嫌いではない。
それがこんなに憂鬱なのは、夫の同僚に会わなければならないせいだ。

夫は、4つも年下でさらに童顔で、こう言っては何だが、かわいい顔をしている。私服だといまだに学生に間違われるくらいだ。
自分は、4つも年上で、こう言ってはなんだが、まぁ年相応だ。

いっそ、仕事になったと言って、ピザでもとってもらおうか。
式は身内だけで挙げたから、夫の同僚と顔を合わせるのははじめてだった。
新婚家庭に遊びに来るというのは、たぶん野次馬根性もあるのだろう。
(後で会社でいろいろ言われるんだろうなー)

被害妄想で悶々としていたら、
「出たよー」
夫がいつの間にか風呂から上がっていた。

料理本の上に突っ伏す妻をみつけて、
「悪いね、適当につくってくれればいいから」
メニューに悩んでいると思われたらしい。
「そういうわけにはいかないでしょ」
あえて訂正せずに答えると、
「ねぇ…なんでみんなをよんだの?」
ああ…聞いてしまった。

「ん?」
素っ裸で冷蔵庫からビールの缶を取り出した夫は、振り返るとこちらを見て、
「自慢したいから」
きっぱりと言った。
「は?」
二の句が告げられずにいる妻に、
「奥さんが家できもので家事してるって言ったら、みんなうらやましがってさー悪いついでに土曜日、きもの着てよ。この前買った縞のやつ。あなたがきもので料理してるの見るの好きなんだ」

ああーこいつは…もう…

そうだった。思い出した。
昔、デートの時に浴衣を着て行ったら、彼はこちらが驚くくらい喜んで、それからその喜ぶ顔を見たさに、きもの教室に通ったのだ。
自分がきものが好きだから、着るようになった気でいたけれど、思い出した。きっかけは夫だった。

それでも結婚してからは慌ただしくて、せっかく買ったきものにも袖も通すどころか、会社から帰ってきた恰好のまま、夕飯の支度をするようになっていた。



「あ、タコマリネ入れてね」
メニューリストを覗きこんで好物をリクエストする夫に、
「はいはい」
タコは山芋の衣をつけて揚げる予定だったのだけど…

頬が緩みそうになるのを堪えながら、メニューリストに「タコマリネ」と書き加えた。
author:mayudama, category:●『きもの草子』, 00:20
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きもの草子四枚め[ボクサーみたいに]
(やっぱり送料をけちらずに届けてもらうべきだったかも…)
東急ハンズの入口で、自分の背丈ほどあるハンガーラックが梱包された箱を抱え難儀していたところを不意に声をかけられた。
「あれ?何してんの?」
「あ…」
会社以外で週末に偶然会えるなんて…運命かもー
と、舞い上がったのはつかの間。
すぐに彼の手に買ったばかりらしいステンレス製の水きりカゴの入った袋と、女もののバックが目に飛び込んできて、浮わついた気持ちごと奈落の底に叩き落とされたのが二ヶ月前。

今日は、その彼の結婚式に会社の同期として出席する。
(でかいスーツケースを颯爽と引いているような、サバサバした男らしい女性がタイプ、って言っていたのはどこのどいつだ…)
ホテルの化粧室で悪態をつく。真に受けた自分が馬鹿だった。
いや、長い付き合いだというのに告白もできずに こんな事態になってから死ぬほど後悔している自分は、やはりバックを持ってもらう彼女よりも女々しいのか。

自然、険しくなる鏡の中の顔。いかん、せっかくの一張羅がだいなし。
今日はパンツスーツはやめて、ボーナスで誂えたつけさげ訪問着にした。
藤色の地に丸い菊や桔梗などの小花や草が流れるように配置されたきもの。バックは昔、アンティークショップでその精緻なつくりに一目惚れした、ビーズ刺繍のものを合わせた。
バックまで新調する余裕がなかったこともあるが、我ながらこのきものとよく合っていると思う。



だけどこの手のバックは財布どころか携帯すら入らない。
こんなバックで出かけるようなご婦人は、自宅までお迎えがきて、その後、自宅まで送ってもらえて、最初から財布を持つ必要がない人に限られていたから、収納という本来の役割よりも装飾品としてのデザインに重きがおかれ、口紅とハンカチを入れればいっぱいの代物になったとアンティークショップの主人が言っていた。

(でもー)
現代では大荷物を持っていてもコインロッカーもあれば、ホテルのクロークで預けることもできる。携帯は帯の間に挟めばいいし、クレジットカード一枚入れておけば、たとえ荷物持ち兼お財布代わりの殿方がいなかろうが、小さな繊細なバックだって楽しめるのでおかまいなく。
鏡の中の自分につぶやく。完全に負け犬の遠吠え。

あと2分たったら、ここから出て、控室にいる「新郎の学生時代のご友人」方に、「ハシより重いものは持ったことがありませんの」的な微笑みを浮かべよう。
もう少し親しくなることがあったら、その顔のまま、A4のコピー用紙が入った段ボール箱を2箱重ねて持ってやろう。

あと35秒。

鏡の中の己の目を挑むように見つめて、
「バカヤロウ」
と小さくひとこと。

タイムリミット。

「よし」
これからリングに上がるボクサーみたいな気分で、しかし所作はあくまで品よく、洗面所のドアを押し開いた。
author:mayudama, category:●『きもの草子』, 23:32
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きもの草子三枚め[Hungry Spider]
ヘンな女がいるな、と思った。

最近行きつけになったうまい魚を出す居酒屋。いつも同じカウンター席にいる。たまに友人らしい連れと一緒にいることもあるが、たいていは一人。
店員とも親しいらしいが余計な話をすることもなく、一人でのんでいる。

常連の多い店だからそれ自体は気になることではないが、ヘンなのは、その女がいつもきものを着ていることだった。
結婚式で見るような派手なものでも、テレビで女優が着ているような高級なものでもない。
もはや何がモチーフなのかわからない、ロールシャッハテストのような抽象的な柄や、見たこともない幾何学模様。ごちゃごちゃと色彩を何色も組み合わせて尚、しん、と完結した雰囲気をまとっている。

「どうしていつもきものなの?」
たまたま隣の席についたある日、はじめて声をかけた。

女は焼酎が満たされたグラスを手にこちらを見つめ、一拍置いてから
「あなたは今日、どうしてそのシャツにしたの」
落ち着いた声で聞いた。
その日着ていたのはなんの変哲もない白いシャツだったが、
「気に入っているんだよ。昔から着てる」
と言うと彼女は重々しく頷き、こちらを見もせずに
「よく似合ってる」
と言った。そりゃあどうも。
「わたしもー」
「え?」
「わたしも気に入ってるからきてるの」

やっぱり変な女だった。だいたい質問を質問で返すようなヤツは苦手だ。と思いつつも、行けばいるので、ぽつぽつと言葉を交わす仲になった。

「また妙なの着てるなぁ。その柄、花火?」
その日、彼女は墨色の地に黄や朱の放射線状の模様が大胆に染められたきものをまとっていた。
生地だけ見れば毒々しい柄も、女が身につけるとしっくり落ち着くのが不思議だ。きものという形がそうさせるのか、女がそうさせているのか。

珍しく酔っているらしい彼女はフフン、と答えにならない返事をし、
「もう1軒いこう」
と店を出た。

カウンター席から降りて夜の道を行く女は、思っていたよりもずいぶん小さく、もう1軒行くと言ったくせに、するするとコンビニに入っていき、レモン味の氷菓子を手に出てきた。
「無性に食べたくなるのよね、飲んだ帰りって」
と言いながら棒付きアイス片手に行く後ろ姿を見て、座敷童子みたいだ、と思った。年がよくわからない。



「ねぇ」
ふいに振り向いて女が言った。
「これ、花火の模様じゃないわよ」
「じゃあなに?」
「蜘蛛の巣模様」
「そんな柄あるのかよ」
「あるの。蜘蛛の巣の柄は大正時代に『お客を捕まえる』っていわれて水商売の女の人達の間で流行ったんだって」
そう言って、手元に垂れそうになったアイスのしずくをぺろりとなめた。

「そんなものを着なくてもー」
機嫌よく前を歩く小さな背に口の中でつぶやいた。

そんなものを着なくても、とっくにひっかかっている。

だから警戒していたのに、気づいたときにはもう手遅れ。
身動きがとれないほどにはまるんだろう、このヘンな女に。
ため息を一つついてから、半ばヤケクソ気味に観念した。
author:mayudama, category:●『きもの草子』, 17:11
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きもの草子二枚め[真夏の雪]
「もう今日はいいから帰れ」
一瞬、何を言われたのか理解できなかった。
外での打ち合わせの帰り、夏の太陽はまだまだ高く、仕事は山積。
「早く帰って寝て、眉間のシワとってこい」

がーん、って音が聞こえた。
融通のきかない上司と、言われたことしかやらない新人との板挟みで、キリキリしながら仕事を片付けていたのは、眉間にシワを寄せながら遅くまで残業していたのは、あなたの役に立ちたいという思いがあったからなんだけど。

ゆらゆら陽炎のたつ中、よろよろと歩いていた。
バタバタと書類を扇子がわりにあおぐおじさんも、シャツを大きくはだけた若者も、熱気で輪郭が溶けだしたように滲んで見える。
自分も半分くらいスライム化してる気分…

その時、目前を横ぎる人物に知らず、視線が吸い寄せられた。濃紺のきもの姿のその女性は、暑さに溶解した空気の中、一人、違う世界の住人のようにくっきりとした輪郭を保ち、うんざり顔の人々の中、唯一、すうっ、とした眼差しで今にも微笑みそうな口元のまま、滑らかに歩を進めていく。



自然と注目した後、その人が身内であることに気づいた。
「叔母さん」
「あら、どうしたの」
叔母は、三味線の師匠をしている。だからきもの姿は見慣れているつもりだったのに、思わず見とれていた。

「雪の結晶なんだね。夏なのに」
稽古帰りだという叔母と連れ立って歩きながら言った。きものの柄は季節と合わせなければいけないのではなかったっけ?でも近くで見ると薄い、透ける生地の紺色のそのきものには、小さな白い雪の結晶が星のように散らされていた。
「雪輪、っていうのよ。涼を呼ぶ雪輪の模様は、夏に着てもいいの」
「ふーん。暑くないの?」
「そりゃ、人並みには暑いわよ。でもせっかく涼しげな柄を着ても、ゼェゼェ暑がっていたら見苦しいじゃない。自分が良くても、見る人が不快になるような格好はしちゃだめよ」

あ、と思った。
見苦しい、か…

「ねぇ、叔母さん。ビール飲んでいこうか」
誘うと上戸の叔母はうれしそうに笑った。
「あら、いいわね。九段会館にしましょうか。屋上でビアガーデンやってるのよ」

すぐさま提案して先導する叔母につきながら、あーあ、と思った。まだまだだなぁ、自分…

目の前には小さな雪の結晶がちらちら舞って、溶けかけていた心がほんの少し固まった気がした。
author:mayudama, category:●『きもの草子』, 23:44
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きもの草子一枚め[はじめて浴衣を着た日]
浴衣でも着てやれ、と思った。

「会社のサークルで海に行くから一緒に行こう」と無邪気に誘われ、さらりと断った。

新人の若い女の子もいるんでしょう?かわいい水着をつけて、飛び魚みたいにぴちぴちしてるんでしょう?とは言わなかった。
最近そのサークル活動の方が、二人でいる時より楽しいんじゃない?とはもっと言えなかった。
水着なんか、着ない。

それで浴衣。
店先でひらひらと涼しげな、儚げな色が揺れているのを見かけたら、浴衣でも着てやれ、という気分になった。

ふらりと入ったその店で、しかし店先の新品の浴衣は実際手にとるとパリッとしすぎていて、ちょっと違う気がした。

気後れしていると、店員が一枚の浴衣を奥から出してきた。
「中古でよろしければこちらはいかがですか?」

広げられたのは、クレープ生地のように皺がよった、白地の浴衣。
淡いピンクの渦巻きが散らされている。ぐるぐるの渦巻き…なんか親近感。
手にとるとしっとりと肌になつく。

小千谷縮という生地だと教えてもらった。
「リサイクルで白地の夏物はなかなか状態のよいものがないのですが、これはものが良いのと、丁寧に着られていたのでしょうね」

よいものですよ、という店員の説明を聞いているうちに、魔法にかかったようにその浴衣を買っていた。

海から帰ってきて会う日、はじめて自分で浴衣を着た。
待ち合わせのバーにはずいぶん早く着いてしまった。
柔らかい生地をまとっていると、ちょっとやさしい気持ちになった。
海の思い出を笑顔で聞いてあげよう。
ふだんと違う姿に恋人は、「どうしたの?」って聞くだろう。
止まり木で待つ自分は、白い蝶みたいに見えないかな。
太陽の下の飛び魚たちよりもきれいと思ってくれないかな。



・・・でも、ネットの説明を見ながら何回も着付けをやり直したことは、教えない。
author:mayudama, category:●『きもの草子』, 21:44
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